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モーテル論 (前編)

前編 ~MOTELの歴史と建物との出会い~

text= Arts&Crafts 中谷ノボル

モーテルと聞いて何をイメージしますか? 私たちの会社ではSPICE MOTEL OKINAWAというリノベーションホテルを2015年から運営しています。今回あらためて「モーテル」について書きました。前編では、元の建物との出会いから開業まで、そして施設名称が何故ホテルではなくモーテルになったのかなどを。また後編では、SPICE MOTELが位置する沖縄本島中部という独特のエリアについてと、この先のモーテルの在り方についてを記しました。本土から沖縄を旅する人だけでなく、沖縄県内の人にも一読いただけたらうれしいです。

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モーテルの誕生とモータリゼーション   


motelという単語は、アメリカでモータリゼーションが国民に広く定着した20世紀半ば、すなはちミッドセンチュリーの時代に、マイカーやレンタカーで訪れて宿泊するという、新しい旅のスタイルを表す当時の新語で、自動車=motorと、hotelを合体させ =motelとなりました。

‘70年代にはモーテルを舞台にしたロードムービーやTVドラマが多く撮られるようになり、それらの映像を通じて日本にもモーテルという言葉が輸入されたのだと思います。本来、観光からビジネスまで様々な用途に使われるのがモーテルなのですが、どういう訳か日本ではモーテル=ラブホテルという認識が定着してしまいました。

不遇な広まり方をしてしまった日本におけるモーテルですが、もしそのイメージを覆すようなイケてるモーテルが誕生するとすれば? それはきっと沖縄なんだろうな。アメリカ文化とクルマ社会が浸透している沖縄、特に米軍基地が集中する沖縄本島の中部にはその可能性がある。かつてそう考えたことがありましたが、普段はそんなこと忘れていました。

 

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朽ち果てそうなホテルと出逢ってしまった   

2013年9月、不動産投資案件を探しているリストのひとつとして、その沖縄の中部(北中城村)で古びた売りホテルを見に行くことになります。建物はかなり傷んでおり可哀そうな状態でした。ただ、施設名称がホテルなのにキーホルダーにはMOTELと書いてあったこと、そして屋上に「自動車ホテル」という大きなネオンサインが残っていたことで、ピンと来ました。

モーテルが日本でリベンジするならこの物件じゃないの?

ホテルが建てられたのは半世紀前の1970年。沖縄がまだアメリカに統治されていた時代です。当時のオーナーは、モーテルの概念を沖縄の人に知ってもらうため「自動車ホテル」と訳し、それを屋上看板としてそのまま採用したのでしょうか。いろいろ想像しました。

「わたくしをリノベーションで再生してくれませんか」

この老朽ホテルにそう囁かれてるような気がしました。建物はボロボロだし、観光立地でもない。まだ沖縄でホテルを運営する予定もなかったし、合理的な判断ならアウトな案件でしたが、直感的にこの船には乗るべきだと縁を感じてしまいました。よし、モーテルとしての再起に付き合ってみよう。そう心に決めました。

 

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理想のモーテル像はアメリカから消えていた     

善は急げ! 本場アメリカのモーテルをいっぱい観たいと思い、サンフランシスコへ降り立ちました。レンタカーでモーテル泊の渡り鳥な旅。当初、何かと話題になっていた街ポートランドを最終地として北へ向かうつもりでしたが、モーテルという単語で画像検索すれば敷地にはパームツリーとプールが必ずある。そうだわ。沖縄のモーテル計画なんだし、ヒントとなるのは暖かい南カリフォルニアだ! ということで針路を180°変更しました。

自分の頭の中にある理想のモーテルを探すべく、ひたすら車を走らせます。しかし、イメージ通りのモノに出逢わない。そういえば米国のTVドラマ「ベイツモーテル」の物語中、新しくハイウェイができて客が奪われたという会話がありました。整備された道路沿いに大手チェーンのモーテルが建設され、趣ある個人店のモーテルがどんどん消滅してしまっているのだと気づきました。

そこで、旧い国道を走ったり、かつての人気観光地(Pismo Beach)を訪れるなどして、より自分のイメージに近いモーテルを求めて移動しました。中でもミッドセンチュリー時代の建築が数多く保存活用されている Palm Springsは、本当にカッコいい街でした。元のデザイン性が高ければ、人々は自然と家具や建物を遺そうとするんだなと実感しました。

こうして、10日間ほどの旅で得た沖縄のモーテル再生の方向性は、無理して流行りのデザインを追い求める必要はないということ。1970年に建てられたホテルが今もイケてるというようなリノベーションをしてやればいい。古いモノも新しいモノも良いものは良い。それが再確認できた渡米でした。

 

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地元クリエイターと沖縄ならではのモーテルを      

米国から帰国してモーテルの再生に着手します。意外にもデザインの始まりはベッドカバーでした。建物が建てられた1970年当時にイタリアで発刊された古いインテリア雑誌にあった一枚の写真がソースとなりました。最初にベッドカバーのイメージが固まり、そこから家具、壁面の内装や建築金物、水廻り設備機器と、細部から全体を行ったりきたりして設計を進めました。

そしていざ建築工事。この計画のために期間限定で転勤してきた20代の監督と、作りながら臨機応変に工事を進める方法を採用しました。屋上看板を再利用した「自動車」ネオンサインも当初案になかったものです。特筆すべきなのは客室の照明スイッチ。オーディオ機器用のパーツを使うなどして、地元の電気屋さんが完全オリジナルで作成してくれました。

その他にも、客室番号の個性的なフォントとウォールペイント、螺旋階段や手摺りなどアイアン製品の制作、特注カーテンや家具のインテリア、SPICE MOTELのロゴデザイン、webサイトの写真撮影やそこに登場するモデルまで、すべて沖縄の人によるプロの仕事です。そしてデザインの核となったベッドカバーは、普天間の生地屋さんで見つけたデッドストックから作りました。

 

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サータアンダギーは沖縄のドーナツだ  

開業に向けて、建築途中からホテルで働くスタッフを募集する必要があります。まだ出来上がってもいない、そして制服もないホテルのイメージが伝わるのか心配でしたが、不思議なものでフロントスタッフだけでなく客室のハウスキーパーまで、いかにもSPICEらしいルーツが多様な楽しい人材が集まってきました。

こうして、初めて建物を見た日から2年と3ヶ月、2015年の暮れにSPICE MOTEL OKINAWAがオープンします。奇しくも自分の誕生日の日付で旅館業の許可がおりました。想定した顧客層は東アジアからのカップルや女性グループでしたが、そのとおり台湾や韓国からの旅行客、そして沖縄在住のアメリカ人関係者や日本国内からのゲストが、初年度からたくさん来てくれました。

あえて客室にテレビを置かず、県内の米国人向け英語FMが流れるラジオにしました。アメリカで見たモーテルに倣い、朝はコーヒーとドーナツを無料でサービスしたいと考え、ハワイで修行したと言う近所の焙煎屋さんから豆を仕入れ、サータアンダギーを沖縄産ドーナツだと言って提供しています。

宿泊だけでなく、雑誌やブランドカタログの撮影、そしてミュージックビデオのロケ地としても数多く利用してもらいました。また、コンクリートの建物は国内でも早期に普及した沖縄ですが、リノベーションの事例が少なかったこともあり、沖縄における先進的なリノベーションホテルとして、アートアンドクラフトの本業である建築業界からも大きく注目されました。

後編へ続く